乃木という名字は、日本では中立ではありません。明治の陸軍大将・乃木希典を先に思い出します。ただ、これを子孫の話にすると、途端につまらなくなります。面白いのは血筋ではなく、あの人物がどういう造りをしていたかのほうです。調べていくと、第2シーズンの出発点そのものに重なる一件が出てきました。
子孫説にすると、話が急に小さくなる
ネット上には憂助を乃木希典の子孫と読む説があります。ただ、史実を当たると支えがありません。息子は二人とも日露戦争で戦死していて、直系が残っていないからです。名前の付け方も合いません。乃木家は「典」の字を「すけ」と読ませてきたのに、憂助は「助」を使っています。
そもそも、誰の子孫かという問いは、答えが出ても物語の理解を進めてくれません。借りているのが血筋ではなく人物の造りだと考えたほうが、読みとしてずっと使えます。
乃木希典を決めたのは、旅順ではなく軍旗だった
1877年の西南戦争、植木町付近の戦いで、乃木が率いる歩兵第14連隊は薩軍に襲われ、旗手が討たれて連隊旗を奪われました。軍旗は明治天皇から賜ったもので、軍人が失ってはならない品です。
乃木は何度も自決を図り、児玉源太郎に止められています。待罪書を送って自ら厳しい処分を求めましたが、処分は下りませんでした。ここが効いています。許されてしまったことで、負い目が終わらなくなりました。
三十五年後、明治天皇の大喪儀の日に、妻の静子とともに自刃します。遺書には、この自刃が連隊旗を奪われたことを償うための死だと書かれていました。忠義の物語として語られてきましたが、内側は、ようやく訪れた清算の機会でもあったはずです。
5人が全員は還らないなら、それが憂助の軍旗になる
ここで第2シーズンの出発点を思い出したいです。憂助は預かっていた別班員5人を奪われるところから、この物語に入っています。天皇から賜った旗を失った男と、組織から預かった仲間を失った男という点で、二人は同じ場所に立っています。
父を撃った件でも、憂助は罰されていません。罰されずに使われ続けるという形まで、乃木の後半生とそろっています。
そう見ると、5人の奪還がどう決着するかは、この物語の性格を決める分かれ道になります。全員無事に還れば負債は残りません。一人でも欠ければ、それが憂助にとっての軍旗になって、彼はその後を抱えて生きることになります。乃木希典の造りを踏まえているなら、後者のほうが噛み合います。
ここから先を想像した回は、コラムとして別に置きました。証拠で白黒をつける普段の記事とは種類が違って、乃木希典の人生を憂助へ当てはめて終わり方まで思い描く、遊びの回になっています。史実の部分だけは資料で裏を取ってあるので、そこは安心して読んでください。
午後に立てた三つの説は、どれも別の話
午後にサイトの在庫を洗い直したところ、まだ立てていない説が三つ残っていました。太田が新庄側の二重スパイだという説、太田役の交代そのものを替え玉の伏線と読む説、そして野崎が裏切っている側だという説です。どれも第12話のあとに広がったものです。
三つとも一本ずつ別の記事にしました。まとめて一本にすると、証拠の強さが違うものが混ざってしまうからです。太田の二重スパイ説と、俳優の交代を作中の入れ替わりと読む説は、似ているようで土台がまったく違います。前者は劇中の描写から出ていて、後者は画面の外の事情から出ています。
野崎の説は、第13話の予告に引っ張られて伸びた面があります。それでも、司令の性別を知っていた一言だけは劇中の材料です。そこだけを持って追いかけます。
この記事の要点
- 乃木希典の生涯を決めたのは旅順ではなく、1877年に連隊旗を奪われた一件でした
- 軍旗は明治天皇から賜ったもので、乃木は自決を図り、処分を求め、そして許されてしまいました
- 許されたことで負い目が終わらず、三十五年後の殉死まで死に場所を探し続けました
- 憂助もまた、預かっていた別班員5人を奪われ、父を撃った件でも罰されないまま使われ続けています
- 午後には、太田の二重スパイ説、太田役の交代を替え玉と読む説、野崎の離反説を、それぞれ一本ずつ立てました
出典・参考
本編と公式情報を事実確認の軸にしています。報道や個人の考察は、説の広がりを知るための参考として扱い、確認できた事実とは分けて記載しました。