弱った野崎を抱き起こし、水を与える劉だけを見れば、昔の情が戻ったように感じます。けれど第18話では、その救命までが計画だったと明かされました。わたしが怖いと思うのは、優しさが全部うそかどうかより、本気で求める相手の自由まで奪おうとするところです。
助ける手と、追い詰める手が同じだった
野崎に水を与えた劉は、そのあと樊へ、相手を依存させるための計画を説明します。苦しませる役を沈に担わせ、自分はそこから救い出す側に見せる仕掛けでした。前後を続けて見ると、救命の場面が逆向きに響きます。
この流れを知ったあとも、野崎に向けた劉の感情は気になります。何も思っていない相手なら、情報を聞き出せれば十分なはずです。わざわざ自分を必要とさせようとするところに、組織の仕事だけでは収まらない執着を感じます。
最後は守るという説に、期待したくなる理由
世間には、劉が最後には野崎を守ってXinxiに背くという考察もあります。かつての関係を知るほど、あの優しさに本心が少しでも残っていてほしいと思いたくなります。
ただ、今の救命をそのまま善意に読み替えると、野崎が奪われているものが見えなくなります。劉は相手を生かしながら、自分で選ぶ力を弱らせようとしています。わたしは、将来の転向を期待することと、現在の行動を肯定することを一緒にはしたくありません。
野崎が自分を選ばなくても、救えるか
劉に本当の変化が訪れるなら、鍵は野崎の意思を認められるかどうかだと思います。野崎がドラムや乃木のもとへ戻ろうとしたとき、それを妨げずにいられるでしょうか。命をつなぐだけより、難しい選択です。
後半戦の別れの言葉も、その視点で聞くと違ってきます。相手を壊してでもつなぎ留める別れなのか、自分から離れて生きることを認める別れなのかを見たいです。劉の手が野崎を支える場面には、まだ正反対の未来が残っています。
この記事の要点
- 劉は野崎を追い詰めたあと、自分を救い手に見せようとしました。
- 将来、野崎を守って組織へ背くという説は、現在の支配とは分けて考えたいです。
- 劉の変化を感じられるのは、野崎が自分以外を選ぶことまで受け入れたときだと思います。
出典・参考
本編と公式情報を事実確認の軸にしています。報道や個人の考察は、説の広がりを知るための参考として扱い、確認できた事実とは分けて記載しました。